『愛がなんだ』はホラー映画でした。
“セフレから恋人にはなれるのだろうか?”
という現代社会に溢れかえっているギモン。
セフレ。セックスフレンドの意。
文字の通りなんだけどそれだけじゃない。
ただただ粘膜をこすり合せるだけじゃない。
例えばテルちゃんはマモちゃんが好きなんだけどそれだけじゃない。
それを超越した感情を持ってしまったのだ。
「マモちゃんになりたい!マモちゃんになれないのならマモちゃんの家族でも親戚でもいい!」
と言うテルちゃんには正直恐怖を感じてしまった。
いやいやいやそれは愛じゃないよ。
マモちゃんと一緒になる為に、なんと仕事も辞めてしまう始末。(マモちゃんとそんな話は一切してないから本当恐ろしい)
「恋をするとなんか相手以外どうでもよくなるんだよね〜!」
なんて夢見ているテルちゃんに対して会社の後輩は
「自分自身も?」
とズバリなことを言ってくる。
テルちゃんは「え?」なんてとぼけた顔してその意味を全く分かっちゃいない。(いや現実みろー)
“執着”というのはこんなにも人を狂わせるのか。
誰の声も耳に入らない。マモちゃんの事だけが全て。
マモちゃん!マモちゃん!マモちゃん!マモちゃん!マモちゃん!マモちゃん!マモちゃん!
そうやって暴走した後、マモちゃんから連絡が来なくなった。
そりゃ引かれるわ。
ついにセフレの“セ”でも“フレ”でもなくなってしまう。
あーあ、テルちゃん惨敗。
セフレからも格下げされちゃった。
それでもやっぱしマモちゃんのそばにいたい訳で。
マモちゃんに強がったり嘘ついたりする。
恋人になりたいはずだったのに、どんどん遠のいちゃう。
だけど思いは反比例し加速する一方である。
もうこうなったテルちゃんは、私には恐怖でしかなかった。
喜怒哀楽が全てマモちゃんからの感情になってしまって、それ以外は無!と言う具合。
きっと彼女が今生きる理由はもうマモちゃんと言う男一人だけ。
マモちゃんと言う男が欲しい、女の皮を被った魔物の様だった。
生き霊飛ばせるよあれ。
昔、ガールズバンドのSCANDALが『恋する乙女が美しいと言う証明できない現実』と歌っていたが、ほんとその現実だなぁとおもった。
恋する女ってのは案外怖いものなのかもしれない。
「愛ってなんですかね。」
同じく恋に悩むナカハラにこんなことを聞かれる。
テルちゃんはちょっとキレながら答える。
「愛がなんだ。」
みんな分からなくて模索してる。
セックスしたのに、なんならデートもしたのに、連絡だって沢山してたのに、
恋人になれない。
(正直、28歳になってこうやって悩むのはちょっとどうかなと思いますが、、、)
そりゃあおかしくなっちゃうのかしら。
ラストシーン、テルコが象の飼育員になってたシーンはほんとゾッとしました。
マモちゃんがなんとなく言った「象の飼育員になろうかな〜笑」をテルコはずーっと覚えていて、まさかお前がなるとは!!!怖いよ!ほんと!
あえて短いシーンでズームから始まるあのラストは秀悦だなぁと感心です。
面白い映画でした。(好きか嫌いかで言われたら普通だけど観てよかった)
『幸せになりたいっすねぇ〜』